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がんばる会社に聞きました

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年間700万人を超える観光客が集う川越。街の人気を支える、食料原材料卸の老舗企業! [1/3]

  • 売上・集客拡大

叶商事(和菓子、パン、洋菓子、そば、喫茶、外食用食料原材料の卸売並びに直営店舗運営) 取締役会長 増村 廣一様、代表取締役 増村 栄一様

1845年に水飴の製造から始まった叶商事。150年以上にもわたって食の原材料卸を通じて食文化を支えてきた。地域密着をモットーに、埼玉県川越市の活性化にも貢献している。

廃業の危機を乗り越え、150年の歴史を築いてきた

江戸時代後期、もち米を原料にした水飴の製造を始める。

その昔、川越は城下町でした。川越市内の城下町の近くにある坂上(現・喜多町)というところで、1845年(弘化2年)に水飴の製造を始めたのが、宇田川屋増村商店という会社でした。これが叶商事の原点です。当時の水飴は、原料にもち米を使っていました。川越城のお蔵米の払い下げをいただいて、水飴を作っていたそうです。明治時代の中頃になると、港の近くに大規模な水飴メーカーが参入し、澱粉を原料とした低価格な水飴が出回るようになりました。低価格な水飴が出回るようになりました。川越は水もキレイですし、良いお米もありましたが、関西方面から原料を仕入れていたため、生産面や販売面で採算が合わなくなり、3代目半ばまで続いた水飴の製造を断念。1913年(大正2年)、高沢町という町への移転をきっかけに、水飴の製造主体から販売主体へと事業を転換しました。そして、その事業転換がきっかけとなり4代目から徐々に和菓子の原材料全般を取り扱うようになったんです。

戦争によって商売ができず、会社は廃業寸前に。

その後すぐに戦争が始まって、食料がなくなってしまいました。当然のように商売ができなくなり、会社は一時閉鎖状態に。働く場所を失った4代目は、商社に勤めに出ていました。このまま廃業になるのかと思っていた矢先、戦争が終わって、少しずつ商品が流通するようになりました。私たちの商売を待っていてくださるお客様もいたので、もう一度事業を再開しようと一念発起したようです。

少しずつ街が復興し始め、川越市内もだんだん人口が増えて、車通りが多くなってきました。先ほどもお話しましたが、川越は城下町。昔は店の間口の広さで税金を決めていたので、どこも入り口を狭く作っていました。ちなみに、ウチの間口は4間(約7.2メートル)。奥行が25間(約45メートル)でした。昔は会社の中にトロッコが通っていて、商品が店に到着すると、トロッコに商品を積んで奥まで運び、両側の倉庫に振り分けていたんですね。そこから商品を配送するために、トロッコに積んで出してという風にしていたので、どの問屋さんも苦労していたんです。もっと広いところに出ないと効率が悪いだろうということで、1972年(昭和47年)にいくつかの問屋さんと共に、川越バンテアンに移転しました。そしてこの進出をいい機会と捉え、「叶商事」と社名を変更しました。

叶商事(和菓子、パン、洋菓子、そば、喫茶、外食用食料原材料の卸売並びに直営店舗運営) 取締役会長 増村 廣一様、代表取締役 増村 栄一様

1845年に水飴の製造から始まった叶商事。150年以上にもわたって食の原材料卸を通じて食文化を支えてきた。地域密着をモットーに、埼玉県川越市の活性化にも貢献している。

叶商事株式会社
〒350-0856 埼玉県川越市問屋町5-1
URL:http://kanoushouji.com/

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