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項羽と劉邦から学ぶ“人間力としての真のリーダーシップ”とは?⑧ ~部下を伸ばす育成力を持つ~

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前回は、“公平な評価を行う”をテーマにお話ししました。
項羽は、“軍事最優先主義”“同族優先主義”を貫き通したため、その政治的判断を誤って、取り返しのつかない大きなミスを犯してしまったこと。劉邦は、①自軍の課題と②士卒たちに求めたい役割と③評価基準の3つを連携させ、公平な評価を心掛けて来たので、天下を手中にするベースとなる“組織の安心感”を得ることが出来たという内容でした。
今回は、リーダとしての手腕の見せ所の“部下を伸ばす育成力を持つ”のテーマについてお話しさせて頂きます。

Chapter8 部下を伸ばす育成力を持つ

◆あなたは、部下をどんな社員に育てたいですか?

組織のメンバーには色々な素材の人たちがいらっしゃると思います。明るく元気いっぱいの人もいれば、物静かで沈思黙考タイプの人もいるでしょう。また指示したことはきちんとやりきる人もいれば、型破りで何をしでかすか分からないけれどたまにスゴイ事をやってのける人もいるでしょう。
人はそれぞれで、長所も短所も入り混じっています。長所しかない人とか短所しかない人というのは存在しません。必ずその両方が入り混じっています。うちの会社に入ったのだから、それぞれの長所を伸ばして欲しいと思っている経営者の方もいらっしゃると思いますが、気が付くと指導する時には、その人の欠点を直させようというような指導の仕方ばかりしている、という事が多く見受けられます。欠点を直させようと無理をすると長所までなくなってしまう事もあり、長所を伸ばして欲しいと思っていたにもかかわらず裏目に出てしまう事もあるので育成には特に注意が必要です。
仕事を早く覚えさせ、自分の分身のようなメンバーを育てたいと思っていらっしゃる経営者の方もいらっしゃいます。でも、本当に必要なメンバーとは、それぞれの持ち味はそのまま(長所も短所も)残しながら、組織の方向性をしっかり理解したうえで、自分できちんと考え、工夫をし、行動できる人間ではないかと思います。
P・Fドラッカーも『知識組織におけるマネジメントの仕事は、指揮命令ではない、方向づけである』と言って、リーダの役割はメンバーに指示することではなく方向づけを行いそれをメンバーに徹底することだと言っています。
多様化した現代は、いつどこで、どんな想定外の事が起こるか分からない時代です。型にはまった、自分と同じ考え方や行動をするメンバーよりも、組織の目指す方向性や使命に基づき自分の貢献すべき役割や成し遂げたいことを思い描けて突発事態に対して自分で対処できる社員の方が、組織にとっては遥かに有益なように思います。
ある求人広告・人材派遣の最大手の会社では、チーム内でメンバーがリーダに相談した際、必ず
『ところで君はどうしたいのか?』
と聞かれるそうです。この言葉こそ、この会社の企業文化を表しているものだと言えます。
そこには以下の事を社員の中に醸成させる狙いがあります。
・起業家精神……全員が経営者目線を持ってほしい
・圧倒的な当事者意識……すべて自分の事と考え、相手の立場になって物事に取り組んで欲しい
・個の可能性に期待し合う場……「Will Can Must」を常に考える
 A) Will:どうしたいか?
 B) Can:自分の強みは何で何ができるか?
 C) Must:それらに基づき、今何をなすべきか?
これらを養うために、日ごろから 『ところで君はどうしたいのか?』という言葉が飛び交うのです。
変化が激しく、何が起きるか分からない時代ですから、余計に、波に漂っているだけの人間や、無理して波に逆らう事ばかりしている人間よりも、波を知り波の方向性と強さを測りそれを利用して泳ごうと工夫する“自律型社員”を育成し自組織を“自律型組織”に育てていくことこそ、本当のメンバー育成ではないかと思います。
それでは、項羽と劉邦は配下にどのような姿への成長を期待し、どのような育成方法を取っていったでしょうか?

◆項羽の育成方針

項羽は、何度も触れてきたように軍事最優先方針です。
多分に、自己崇拝主義者で、自分に勝てる人間はいないと思っていたようですが、数多くの敵が現れ項羽に反旗を翻しました。彼は、“俺がもう一人いれば……”と考え、配下に対し自分と同じことが出来る将軍になる事を求めていたようです。
士卒たちも項羽を神のように崇め、尊敬し、あこがれ、項羽のようになりたいと願い、下々に至るまでその勝利を疑いませんでした。それにより、項羽は自分と同じ強さと勇敢さを持つ将軍の育成に力を注ぎ、結果として竜且、鍾離眛、季布など名だたる将軍たちの育成に成功します。彼らは、各地に転戦し、よく働きます。項羽と同様に常に先頭に立ち、鉾を振るって士卒たちを先導し常に戦いに勝利します。その姿は項羽そのものでした。
『項羽の小型とも言うべき猛将が竜且で、名の通り鍾離眛とともに楚軍の竜虎とも言うべき将である』
『竜且の性格は、楚人そのものであった。剽悍で進むを知って退くを知らず、激しく決戦して敵の芝を踏むという事に戦いの価値を置いている。過去の戦例からみてもそのやり方は項羽そのままであり、自ら鉾を舞わし、全軍を火の玉のようにして前へ前へと駆り立ててゆくという式であった』
しかし、残念ながら、項羽をモデルにした彼らは、項羽以上にはなり得ませんでした。
彼らの中には、竜且や曹咎のように劉邦軍に敗れて敗死したり、鍾離眛や季布のように最終決戦の垓下の戦いを前に、項羽を見限り劉邦軍に寝返ってしまうというように、せっかく育成したにもかかわらず、項羽の意に即した結果にはなり得ませんでした。残念ながら、コピーはコピーであり、原本と比較して、似てはいても本物度合いから言えば項羽とは雲泥の差があったのではないでしょうか?
自分がもう一人いれば……、そう考える経営者の方もいらっしゃるかもしれませんが、所詮自分以上の力を発揮することはできません。社長のコピーが5人いても2倍の実績をあげる事も難しいでしょう。四番バッターを9人集めたチームが優勝できるわけではないのです。もう一人、自分の分身を作ることを念頭に人を育成しようとするのは簡単に始められますので、ついついその方法を取ってしまう経営者の方もおられますが、実質的な効果は思ったほど上がらないという事を肝に銘じて頂きたいと思います。

◆劉邦の育成方針

一方、劉邦はどうだったでしょうか?
おそらく、劉邦には部下を育てようという意識は無かったと思われます。彼にはそれだけの余裕もありませんでした。部下を育成しようとする意欲はむしろ項羽の方が高かったかもしれません。劉邦は、自分一人では何もできない事を知っていた為に、とにかく何をするにも他人を頼り、献策させ、責任と大きな権限を与えて任せます。その結果、劉邦が意識していたかどうか甚だ疑問ですが、配下の方が勝手に育っていったように思います。
陳平 『私をお信じ下さいますか?』
劉邦 『成功をか?』
陳平 『私の人格をです』
――中略――
劉邦 『信ずる』
陳平 『されば、陛下から黄金一万斤頂きます』
劉邦は即座にその係りの者を呼び、金の保有高を調べさせた。五万斤ばかりあった。
劉邦 『四万斤与えよう』
と言ったのは、劉邦の度量であったろう。
陳平 『使途についての出納はいちいち明かせませぬが、よろしゅうございますか』
劉邦 『わかっている。自在にせよ』
このように、任せるとなると任された方が驚くくらいの度量で全ての権限を委ねたのです。
劉邦はこうして大きな度量で全権を委任し献策者に全てを任せますがその結果についての責任追及という事については寛大であったようです。

ある時、作戦参謀の張良が、劉邦とは別の軍を展開し軍事行動をとったことがありました。ふだん作戦立案専門の張良が軍の指揮権をもって戦闘行動そのものにあたったのですが、結果は惨憺たるもので、各地で敗北を重ねます。敗けるということを病的に嫌っている項羽なら、この時の張良の首を刎ねていただろうと思います。
しかし、劉邦は怒ることもせず張良への信頼は揺るぎませんでした。むしろ
『あの男に、荒仕事をさせたのは気の毒だった』 と同情し、作戦を任命した自分に非があると反省したのです。
張良はこれを聞いたかどうかは定かではありませんが、この失敗に懲り、自分は正面作戦には向かないと悟り、預かった部隊を小さな独立部隊に切り分け、各地で多方面にわたってゲリラ活動はじめ、成果を出すことに成功します。
失敗したメンバーを罰する事はせず、自分でその失敗要因を分析させ、再度その任務に当たらせて再チャレンジさせたのです。
また外交を任せていた酈食其が魏(旧戦国六国の一つの国)との交渉にあたって失敗した時も、
『酈先生をもってしてもダメか……』 と怒ることもなく、一緒に悔しがったと言います。
このように劉邦は、人を頼り、人に献策させ、それに権限を与えて全面委任しますが、結果がダメであってもそれで怒ったり、同様の仕事から失敗した人間を外すといった事は一切していません。別の機会を与えて、何度もチャレンジさせます。結果として酈食其は斉(旧戦国六国の一つの国)との交渉に成功し、戦わずして斉の70余りの城を獲ることに成功するのです。
おそらく、再度任命された者は、前回の失敗から立ち直り、なぜ失敗したか分析し、同じ失敗をしないよう作戦を立て直して、次こそ劉邦の期待に応えようと自分自身でその能力を高めていったのだと思います。
「あいつがダメだから失敗したのだ」と結果責任を担当させた個人に押し付け、次の同様の場面では人選から外し、別の人間にやらせたら上手く行くと思うのは、経営者の幻想でしかありません。
失敗要因を人の能力の無さだけに求めているような俗人的マネジメント手法を繰り返している限り、組織もメンバーも成長する事はないでしょう。挙げ句の果ては担当させる人間が誰一人としていなくなりプロジェクトそのものが崩壊するのは時間の問題といえます。
失敗した人間を再度同様の仕事に権限を持たせて当たらせる事は、一見何でも無いように思われるかも知れませんが、経営者にとっては、とてつもなく忍耐力と勇気の必要な事です。
人を代える事は簡単にでき、経営者としたらそれなりに手を打ったと自己満足できるので、コロコロと組織をいじりたがる方をよく見受けますが、人を代えて大成功したという事例はごく少数しか私は知りません。
団塊の世代の大量退職の時代を受けて、少子高齢化が進み労働力の確保が急務である昨今、人は貴重な経営資源です。その貴重な経営資源である人の無駄使いは絶対に許されません。関りを持った貴重な人材は、きちんと育成しより大きな戦力としていくことが大切なのです。
古今東西を問わず、部下に少ない権限しか与えず、結果責任だけ押し付けるリーダをよく見受けますが、劉邦の場合その正反対の方針で、大きな権限を与えて仕事をやらせますが、その責任追及には寛容であったようです。
その結果、失敗したメンバーは自分自身の責任の大きさを実感した上で、次こそ成功させようとし、自らの失敗原因を分析して“失敗を成功への糧とできる自律型社員”に成長して行ったのでしょう。
そのことは、作戦上の事だけではなく、“生きる”という事についても、劉邦は結果として配下を教育しました。
秦に滅ぼされた韓の貴族の子であった張良は、項羽と同じように秦に対し徹底的に恨みを持ち、その半生を秦に復讐することに費やします。そして、今まさに秦が滅びるという段階になって、秦を完全に滅ぼすのなら、降伏した秦王は処刑すべきであると考えます。
『(張良は)一度は博浪沙において始皇帝を車ごと砕こうとして失敗し、その後は逃亡と潜伏に歳月を送った。始皇帝こそ殺しぞこねたが、今その孫の秦王の軍隊をことごとく潰し、その人物が降を乞うところまで漕ぎつけた。一議もなく殺すべきであった。(殺さねば、今までの辛苦は何のためのものであったか)張良はそう思った』 劉邦軍の他の配下も秦に対する恨みが強く、殺せ!殺せ!と皆、訴えます。しかし、秦を滅ぼした後、劉邦に天下を取らせるなら、秦王は生かしておくべきだ、それが秦の領民たちの恨みを買わない唯一の方法だと張良は考え悩みます。
『劉邦の謀将のような仕事をやり始めると、仕事が張良を少しずつ変え始めたような気が、張良自身しないでもない。いわば劉邦を材料にして戦いを構想し、実施し、その結果を見るという仕事は質として純粋に才能というものに属していた。才能は表現を求めてやまないものであり、張良はその面白さを知ってしまった。―中略― その仕上げ(劉邦に天下を取らせる事)まで見届けたくなっている』 結局、張良は、秦の領民の劉邦に対する好意を得る為に、自分の恨みの対象である秦王を生かす方の賛成に回ります。結果として秦王は生かされることになりますが、これによって、劉邦は秦の領民の支持を得ることが出来、劉邦が項羽に最終的に勝てた要因(経済的中心地の関中盆地の領民の支持を得た事)の一つに繋がったのです。
このように張良は、半生を掛けて秦への徹底した復讐を夢見ていましたが、劉邦によって仕事に目覚め、働き甲斐を発見し、次の自分の夢を発見することが出来たのです。恨みと復讐にだけ固執していた張良の人生を、仕事の面白さに目覚めさせ、より大きな世界を描かせ一回りも二回りも大きな人間に成長させたといえます。
おそらく、劉邦は何の意図もしていなかったでしょうが、実質的には劉邦の数々の言動と行為が、配下たちの才能を目覚めさせ、心を揺り動かし、自律型人間に育てて行ったように思います。

しかし失敗しても怒らず罰を与えることもしなかった劉邦が、配下に対して本気で激怒した場面があります。
当時、劉邦は韓信に命じ、別動隊を作って北方戦線を築こうとします。韓信に、項羽の楚の北側である魏・代・趙・燕・斉を切り取って北方から楚を牽制させようとしたのです。しかし、劉邦の本軍が著しく弱く、常に項羽に負け続けていた為に、意図した挟撃体制を築くことが出来ず、韓信自身も北方戦線を構築することに疲れ、軍の侵攻を止めてしまいます。そのころ劉邦軍本体は滎陽城で、項羽の激しい攻撃に四散し、劉邦は馭者(馬車の運転手)の夏侯嬰《かこうえい》一人だけ連れて逃げまどいます。その逃走中に夏侯嬰から、韓信が怠けて軍を停止していることを聞き激怒します。
『“あれは韓信の怠け癖でございますよ” あれとは八か月も軍事行動を止めてしまった状態を指しているのである』 劉邦は、夏侯嬰一人を連れて、韓信の軍営に行き、就寝中の韓信を襲います。当時、広大な領土を獲得しつつあった韓信は、劉邦を裏切り第三勢力を築きつつあるという噂が飛び交っている最中の出来事でした。韓信が、心の底で劉邦を裏切ろうとしているかもしれない状況下で一歩間違えば、劉邦を捕らえて首を刎ねてしまう恐れがありました。しかし劉邦は危険を承知しつつもほとんど単身で韓信を襲ったのです。
『(斬ろうか)韓信が瞬時でも思わなかったとすればうそになる。がどうにも体や心が動かない。
韓信は劉邦の才を尊敬したことは一度もなかった。しかし、この時ほど劉邦の不思議な大きさを感じたことはなく膝を折って劉邦を見上げ、幼児が父親の言いつけを待っているような表情をばかのように取り続けていた。
“今日中に斉へ行け” 劉邦は韓信に命じた』
こうして、劉邦は一次的に指揮権を剝奪し、蹴り上げるようにして韓信を斉へ追いやったのです。
権限と責任を与えてもらい、全権を委任された韓信が、能力は充分に持っているにも拘らず、その才を使おうともせず怠けていた為、劉邦は激怒し叱り飛ばし、首根っこを引きずり回すようにして、韓信を行動に駆り立てたのです。それも命がけで叱り飛ばしたに等しいと言えます。
『韓信軍を強奪した一事は劉邦一代での唯一と言っていい鮮やかな芸で、劉邦の人間について考える時、不思議な印象がある。劉邦は、彼自身も自認しているところだが、元来、自分で何をするという事もできない男であった。若いころから人々を連れて歩き、そういう連中がすべて事を運んできた。ただ人々の上に載ってきただけという面もあり、載り方がうまかったという事もある。かと言って劉邦の不思議さは、いつの場合でも敵の顔の見える前線に身を曝し、人々の背後に隠れるという事はなかったことである。項羽に対してもそうであった。項羽という猛獣に対し、自分自身の肉を餌に相手の眼前にぶら下げ、それを咬もうとする項羽を奔命に疲れさせてきた。豪胆というよりも平気でそれができるところに、配下の者たちが劉邦についてきた魅力というものがあるのかもしれない。この場合、餌自身がむき身で韓信の前に表れ、むき身のまま咆えた。劉邦がそういう絶望的な段階まで追い詰められたと言えばそれまでだが、しかし韓信とその諸将がむき身のままの劉邦に気を吞まれてしまったというのは、劉邦が持っている何事かと無縁でなかったかもしれない』

このように、劉邦は部下の教育などというものを意識して行った形跡はありません。しかしながら、彼の配下に対する
・自律型社員を生み出す方針
 (自分で献策させ、それを採用すると、とてつもなく大きな権限を委譲し、好きなようにやらせ、失敗したら自分で反省させる)
・怠け者への命を懸けた激怒
 (能力がありながら怠けている、もしくはそれを発揮しようとしない配下へは徹底した厳しい対応をする)
こういった劉邦の方針と言動が、本来雑軍である劉邦軍を、自由で闊達でありながら、ピリリと引き締まった軍団に成長させていったのだと思います。

◆まとめ

  • 現代のような、多様で変化の激しい時代には、自分で考えて対応できる自律型人間を育成する必要がある
  • 項羽は周囲に飛び火した反乱軍を掃討する為、もう一人の自分を作る事に指導方針をおいた
  • 自分のコピーは所詮コピーであり、自分を越えることはできず、思ったような成果を出すことは難しい
  • 劉邦は、教育する気もその余裕もなかった為、不作為となり結果的に人を成長させた
  • 強いて劉邦の指導方針を上げるなら、自分で献策させ仕事をさせ結果分析も自分でやらせるという事である
  • 韓信を叱り飛ばしたように、能力がありながら怠けている人間や使おうとしない言動に対しては厳しかった
  • 結果責任を“人”にだけ押し付ける属人的マネジメント手法を行っている限り人材育成は困難である

次回は、リーダなら誰もが経験しなければならない“失敗から立ち上がる”をテーマにします。どうぞご期待ください。

(注)緑字の箇所は「項羽と劉邦」(司馬遼太郎著 新潮文庫)からの引用です

「項羽と劉邦」

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