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項羽と劉邦から学ぶ“人間力としての真のリーダーシップ”とは?⑦ 〜公平な評価を行う〜

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前回は、“部下のモチベーションを高める”をテーマにお話ししました。
項羽は“欠乏欲求”を強烈に刺激するモチベーションアップ手法を使い、短期的に爆発的な効果をもたらすマネジメントを行いましたが、劉邦は人間の最低限の欲求である“食”をまず保証したうえで、“働き甲斐”という報酬で“成長欲求”を刺激するモチベーションアップ術を使って、長期的・安定的なやる気の創造を目指したことをお話ししました。
今回は、リーダーシップの避けては通れない道である“公平な評価を行う”についてです。

Chapter7 公平な評価を行う

◆公平な評価を行う為に必要な事は何か?

リーダーシップを発揮する場合、公平な評価が必要という事は皆さんご理解いただけると思います。
公平な評価を行わなければ、部下は付いてきてくれません。きちんとした評価があってこそ、モチベーションも高くなりやる気も出てきます。人は誰でも“認めて欲しい”という欲求があります。自分自身で頑張った感のある時は尚更です。同じように頑張った感があっても、「あの人は相応の評価を受けているのに、私は評価してもらえない」と感じた場合、当然やる気も失せてくるでしょう。評価される事だけではありません。失敗した時に“指摘される”という行為も同じです。
「同じようなことをしていても、あの人は注意されているが私には注意してくれない」というのも不信感につながります。
人は、
『自分の仕事ぶりをしっかり見て欲しい』
『きちんと仕事ができれば認めて欲しいし、間違ったことをしていたら分かるように指摘して欲しい』
という気持ちを持っています。特に優秀であれば優秀な人ほどその傾向が高いと思います。また、人間は“不安感”があると行動をしなくなり、“安心感”を持つと積極的に行動します。自分は、きちんと仕事をしたら、認めてもらえるし、間違った行動なら指摘してもらえる、という安心感が行動の源の一つになるのです。従って、部下に“不安感”を抱かせるような評価は、生産性を著しく停滞させます。
部下が“安心感”を抱く評価とはどういうものでしょうか?
私は、経営者の方に、評価を行う場合に気をつけねばならないPOINTとして、以下の事を申し上げています。
① 自分の組織が抱える課題と各メンバーに果たして欲しい役割が連携した評価基準を設定する
② 評価基準を公表する (後出しジャンケンの様なルールの後付けはもっての外、先に基準を公表しておく)
③ 人によって評価基準を変えるのではなく、全員に同じ基準を徹底する
④ 状況を常にウォッチする (明確にした役割についてどの程度の仕事をしているか、いつも注目し続ける)
⑤ 評価を行った後は、きちんとフィードバック面談を行う(評価を行った根拠をすり合わせ育成に役立てる)
すなわち、一言でいえば“役割に連携したブレない評価基準”を持ち常に部下の働きに期待し注目し続け、その結果をフィードバックするという事です。行き当たりばったりではダメなのです。
部下やメンバーたちは自分たちが行ってきた活動の結果や、果たした役割の達成度合いを自分自身の物差しで自己採点しているものです。自分で採点した自己評価に見合った論功行賞を行ってやらねばなりません。自己の評価と著しく違った(自己評価よりも低い)場合の落胆度合いは上位評価者が想像する以上のものです。その場合、あらかじめ設定し公表しておいた評価基準に照らし合わせてきちんと説明してあげなければなりません。
この時にこそリーダとしての最大のコミュニケーション能力が問われるのです。きちんと納得してもらうよう誠意を尽くしてコミュニケーションを取ることが必要です。これは自己評価よりも高い評価を与える時にも同じことが言えます。何故高い評価をしたのか、何が良くてどの点を評価したのかをきちんと本人に話さなければいけません。
その評価を伝えるとともに、自分のどのポイントが評価されるのか、どの点が良くないのかを本人に納得してもらう事が大切です。実は、この評価後のフィードバックが最も大切な事だと私は思います。
そしてリーダが部下に今後どのようなことを期待しているのか、そのためにはどのようなことを努力して伸ばしていって欲しいのかを伝えることがメンバーの今後のステップアップにつながるのです。
適切なフィードバックの無い評価は、
 低い評価者には落胆と恨みを生み出し、
 高い評価者には増長と傲慢を生む源泉となる
危険性があるという事を是非とも心に留めておいていただきたいと思います。
それでは、項羽と劉邦はどのような評価基準を持ち、どのように部下を処遇して行ったでしょうか?

◆項羽の評価基準

項羽は、これまでのお話の中でも何回も触れてきましたように、軍事最優先主義・同族優先主義です。それはそれで徹底しており、公表するまでもなく、すでに四方に知れ渡っていました。そういった意味では、ブレない評価基準ではあったのですが、その評価基準が作成段階から間違っていたように思います。すなわち、自組織の課題とメンバーの役割と評価基準がマッチしていなかったのです。ましてや軍事優先ではありながら、項氏という同族だけは軍事評価対象外だったというのは、項氏以外のメンバーから見れば合点が行かない事だったように思います。 『項羽は、功績の評価基準が単純すぎた。例えばかげになって流民を組織した者や、その名声によって流民を吸引した者、あるいは妙策を立てて勝利に導いた者といった風なたぐいは、皆外された。項羽が功として認めた者はみな第一線で華々しく戦った勇将たちで、後方にありながらその者がいたが為に諸人の“信”が繋がれたというたぐいの功績というものは、項羽は一顧もしなかった』
『彼の論功行賞は、混乱と反乱、あるいは項羽への見限りのみ招いたといっていい』
『楚軍の軍営でいま羽振りのいい者といえばみな項姓の者であった』
軍事という最前線の戦い以外にも、バックヤード部門として、組織を作った者、外交交渉を行った者、補給をきちんと行った者がいたはずです。項羽とその首脳陣は、それぞれにそれらの役割を与えました。にもかかわらず、評価段階になって、軍事以外は一切評価しないと宣言されたら、部下としてはたまったものではありません。 『項羽のおかしさは、メシというものは侍童が持ってくるものだと思いこんでいた事であった。楚軍の補給は、その部署に立つ誰かがやってきたが、項羽自身が頭を悩ましたことはなかった。というより、将たる者がそういう事に心を煩わすのは愚だという事が物の考えの底にあったといえるかも知れない』 これは、意外と現代の経営者の方の中でも見かけることがあります。売上さえあげていれば、金は苦もなくいつでも手に入る。経理部門の人間は金の勘定をしているだけで誰でもできる。配送の仕事は、営業が苦労して売ってきたものを運んでいるだけで、配送なんてできて当たり前であってスキルの低い者でも極端な事を言えば子供でもできる事だ……
会社には営業・総務・経理・企画・製造……それぞれの部門があり、それぞれ役割に応じて仕事をしています。しかし、出世するのは第一線の営業ばかり、経営会議は“声の大きな営業の人間”が主導権を握り、バックヤード系の人たちは、ほとんど何も発言しない。営業の人は、あたかも「稼いでいるのは俺たちだ。俺たちが皆を食わせてやっているんだ」と言わんばかりに……
こういう態度を経営者は絶対に許してはいけません。でも逆にそれを是とし、むしろ助長しているような態度の経営者の方もいます。これでは、バックヤード系の人たちは働く気力を失ってしまうでしょう。
項羽のその偏った好みは、論功行賞の場だけではなく、人間の好悪といった部分まで発展していきます。 『“あいつは鉅鹿戦では少しも戦わなかった”というのが、項羽が陳余を嫌うほとんど唯一の理由であった。項羽は人が勇敢であることを好みすぎている。そのことを常に人間の価値基準の第一においていた』 項羽の好き嫌いによる論功行賞は、そのうち致命的欠陥を生み出すことになります。秦の章邯将軍の主力軍を撃退した項羽は、章邯将軍以下3名の将軍は武人として優れていた為、異様な好意を持ち、その投降を許しましたが、その配下の秦軍兵士20万人は、反乱を企てた疑いから、新安(今の洛陽付近)で生埋めにして全員殺してしまいます。その後、覇権を握った項羽は江南地方の彭城を都とし、秦の都だった咸陽近辺の関中盆地を、「秦を治めるのは秦人が良いでしょう」という参謀の范増の意見を取り入れ関中盆地を三分割し、お気に入りの章邯以下3名の投降した将軍をそれぞれ王に抜擢して、その封土にします。 『この論功行賞は、項羽と三人の関中王以外、王侯になった者も、なりぞこねた者も、全てが不満だった』 怒ったのは、親兄弟仲間を新安で殺された関中盆地の人々で、秦の将兵を見殺しにし、自分たちだけが出世した章邯将軍たちを心の底から恨みます。その後、関中盆地に攻めて来た韓信率いる劉邦軍と関中盆地の農民が結託し、あっという間に章邯将軍以下3名の王を打ち破ってしまうのです。 『(韓信は)その果てに章邯を自殺させた。かつてあれほどの将才をうたわれた章邯にしてはもろすぎるほどの最期だった。――中略――かれら(3人の王)は滅びるというよりも溶けるようにして消えた』 項羽の章邯ら3人の王に対するフィードバックのない過大な恩賞は、関中盆地の領民の気持ちを逆撫でするものであっただけではなく、有能だった章邯に増長と傲慢を産み出させたものであったのかも知れません。 『こういう場合、どなるなど、かつてのこの男らしくなかった。章邯は秦の末期、機動軍を率いて各地の一揆と戦っている頃は常に温容を保ち、声色が穏やかであったが、近ごろは人変わりがしたように顔も険しくなり、不意に笑い、理由なく怒ったりした』

こうして当時の軍事上・経済上の中心地であった関中盆地は劉邦の手中に納まる事になりました。ここを抑えたことにより、劉邦は何度項羽軍に負けても、再度立ち上がるだけの兵力を持ち、食糧の補給も関中盆地から得ることが出来、最終的な勝利をつかむ要因となったのです。 『彼ら(関中の農民は)はそれほどに章邯を憎み、一方、かつて関中を占領して一物も掠奪しなかった劉邦とその軍隊を懐かしみ、一日も早く劉邦が漢中(関中の南西の山岳地帯)から出てきて関中を治めることを、旱天のとき雨をひたすらに待つかのようにして待っていた。関中の農民がすべて劉邦に味方したという事は、劉邦の戦いにとって戦略以前の大政略をなしていた。このやり方は後世のどの時代の革命軍にも引き継がれるようになった』 このように、項羽の好き嫌いで無神経な業績評価は、楚にとってその根幹を揺るがす致命傷のきっかけとなってしまったのです。
項羽の部下に対する評価は、設定段階から自組織の求める役割と評価基準がマッチしていなかった上に、評価そのものが項羽自身の好悪に基づいたものであり、評価後も項羽自身がフィードバックすらしていなかったようです。楚軍の為に貢献しようとしていたメンバーから見れば、不安感が残るだけの評価と処遇であったのではないでしょうか?

◆劉邦の評価基準

一方、劉邦はどうだったでしょうか?
彼の場合も決して褒められた評価と論功行賞をしていたわけではありません。ほとんど大盤振る舞い状態でした。それは多分に項羽との正反対な印象を演出したかったのが原因と思われますが……。 『陳平は、喜ぶよりも、何か大きな穴の中に吸い込まれるような恐ろしさを感じた。が同時に劉邦の甘さを思った。項羽は配下に官位や封土を与えるのに老婆が小銭を出し惜しみするように吝嗇であったが、一方、劉邦の放漫さも世間では定評になっていた。相手の人の善悪賢愚をろくに見定めもせずに物をくれてやったり、高い身分を与えてしまったりすると世評では言う。このうわさが存外、的を射ていることを陳平は身をもって知ってしまった』 但し、彼の良いところは、軍事・補給・作戦・外交・民治など各方面に評価対象を広げ、それぞれに役割を指示し、それに報いた際には法外な報酬を与えたという事です。また前回もお話ししましたように、広く献策を求めており、「良い案を持ってきたものには、仕事を与え、成功時には大きな褒美を与える」と内外に宣伝します。 『劉邦は、西進へ道々、酈食其《れきいき》のような奇才の士を拾い、奇功を立てさせることによって勢力を膨らませた。それら功を立てた者への恩賞は惜しみなく与えた。寛容さと気前の良さという劉邦の特質は、劉邦一個の能無しを補って余りがあり、肝心の戦の方は一向にはかばかしくないのに、この一軍は常に陽気でここだけ陽が照っている具合でもあった』 劉邦が評価対象を軍事だけではなくバックヤードなども含めて全てを対象にしていたことは、一度も戦闘をせずに常に後方にありながら、劉邦の前線部隊に食糧や装備、兵力を送り続けた蕭何を重用し続け、最終的に項羽を滅ぼして漢帝国を設立させた時に、蕭何を戦功第一の忠臣として称え丞相(君主を補佐する最高位の官吏)に任命した事でもわかります。
その点ではバックヤード部門に対する考え方が項羽とは対照的であったといえ、評価対象に対する考え方が根本的に異なっていたように思われます。 『“追え!蕭何を捕まえろ”劉邦は本営の表へ飛び出し、両手を振り回して叫んだ。蕭何がいなければ劉邦軍など融けてしまう。少なくともただの流賊の群れと化してしまう――中略――(劉邦は蕭何を失ったと思った)この時ばかりは、恐ろしかった』 また劉邦は、部下の役割に対する働きに対しては的外れであっても極力フィードバックを試みていたようです。 『(韓信は大した奴だ)と思った。確かに韓信の統率力と作戦能力というのは比類がなかった。ある夜、劉邦は韓信の幕営まで行き、褒めてやった。が、韓信は喜ばなかった。“どうも勝手が違うのです”――中略――(存外謙虚な奴だ)劉邦はこの時の韓信をそのように解釈した』 劉邦の気前の良さは、楚漢戦争の最終局面に至って、当方もない形になって表れます。
最終決戦を目前にして、劉邦の傘下の韓信と同盟軍の彭越が遠方にいてなかなか重い腰を上げず傍観姿勢を示していた為に、このままでは、とても項羽には勝てないという状態に追い込まれます。劉邦としては何としても韓信と彭越に参戦してもらわねばなりませんでした。 張良 『この場合、二人の人格論をなさってはなりませぬ。今陛下に必要なのは天下が自然に成る為の理を洞察なさることだけでございます。それを洞察なさるためには陛下は無私でなければ御目が見えませぬ』
劉邦 『見えてきた!』 『天下を韓信と彭越に呉れてやっても良いという事だ』
張良 『よくお見えになりました』
劉邦 『わしは、沛(劉邦の生まれ故郷)に帰るのか?』
劉邦の顔が、大きく笑み崩れた。沛に隠退する気などはないが、それほどの腹積もりで韓信と彭越に大きなものを与えようという決心がついたのである。
こうして、法外な領地を約束した劉邦は、韓信と彭越という大きな勢力を戦場に呼び込むことに成功し、垓下の戦いで初めて項羽に勝つことが出来たのです。
劉邦の評価対象は、項羽との戦いにおける軍事から外交、民政まで及ぶあらゆる側面に及び、その基準は劉邦が採用した策を献策・実行及び成功した度合いであり、その報奨はとてつもなく大きいものでした。それはどの局面においても、献策者が誰であっても、劉邦自身のその時の機嫌の良し悪しにもブレることなく、一貫したモノだったようです。それにより、劉邦軍の士卒は、安心して劉邦に献策し、少しでもアイデアがあれば、上は参謀の張良から下は掃除夫に至るまで、進んで献策しようと常に意気込んでいたように思われます。
その結果、劉邦軍のメンバーたちは“不安感”なく、目的に向かい一丸となって生産性を上げていくことが可能になったのです。
劉邦は天下を取る為のベースとなる“組織の安心感”をその手中にしたと言えるかも知れません。
公正・公明な評価は組織の安心感を生み出し、リーダの一方的な評価は不信と不安を生む事になるのです。

◆まとめ

  • 評価基準は、組織の抱える課題とそれを克服するための各メンバーの役割と連動したものが望ましい
  • 評価基準は好き嫌いなどの属人的なものであってはならず、全メンバー同一基準とすべきものである
  • 評価基準はブレない事が大切である。そしてブレない以上に最も大事なのは評価後のフィードバックである
  • 項羽の評価基準は単純すぎた。第一線の戦場での働きだけしか評価対象としなかった
  • 劉邦は、項羽に勝つための課題である、自組織の軍事・補給・作戦・外交・民治など各方面に評価対象を広げ各分野とも同様に評価した
  • 劉邦軍は、誰でも評価してもらえる安心感があり、戦に負けても妙に明るい組織になっていった

次回は、リーダとしての手腕の見せ所の“部下を伸ばす育成力を持つ”をテーマにします。どうぞご期待ください。

(注)緑字の箇所は「項羽と劉邦」(司馬遼太郎著 新潮文庫)からの引用です

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