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項羽と劉邦から学ぶ“人間力としての真のリーダーシップ”とは?⑤ 〜最適な役割分担を行う〜

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前回は、“コミュニケーション能力を発揮する”をテーマにお話ししました。
項羽は自分自身、言葉も少なく、多弁な人間を嫌う傾向が高く、発言内容よりも誰の発言かという事に、価値基準を置いていたという事。それに対し劉邦は誰の意見であっても、常に傾聴の姿勢を見せ、全身全霊を傾けて虚心に聞いた事により、聡明な判断を下すことができ、配下の人間も使命感を持って積極的な提言を行うようになり、劉邦も劉邦軍も成長して行ったという内容でした。
今回は、リーダーシップの真髄ともいえる“最適な役割分担を行う”についてです。

Chapter5 最適な役割分担を行う

◆チームの結成と役割分担

人間はどんな天才であっても、一人では大事を成して行くことが出来ません。組織が必要となるのです。自組織内のメンバーの協力が無ければ、目的が達成できないばかりか、組織運営そのものも立ち行かなくなってしまうものです。組織メンバーが一つの“チーム”にまとまり、目的を達成するため、一丸となって推進しなければ目的達成は難しいでしょう。
同じ、集団を表す言葉に、“グループ”がありますが、グループとチームは大きく異なります。グループとは目的の有無を問わないただの集団であり、人が集まったものに過ぎません。
対して、チームとは、ある目的を達成するために集まったメンバーの集団であり、メンバーがそれぞれの役割を果たすことでチームの目的達成に貢献する集団です。
つまり、グループとチームの違いは、①目的の有無、②役割の有無の2点だと思います。
チームは、その思いは一つで同じ目標に向かってメンバーのベクトルが合っていることが必要十分条件です。互いに影響を与えながらチームもそのメンバーも、程度の差はあれ、お互い成長していく性格を保有できている集団をチームと言います。
グループはメンバーとリーダの1対1の関係性の度合いが強いですが、チームは相互に関係性を持ち、常に情報交換を行い影響し合います。互いに影響し合うので、メンバー間の影響によって化学変化を起こしやすい集団になります。すなわち1+1が2になるといった足し算の世界ではなく、掛け算や2乗3乗といった累乗計算の効果を発揮します。本当に機能しているチームは“全員野球”のできるチームです。
その累乗計算効果を発揮するためには、最適なメンバーを選抜しなければなりません。経営者のお気に入りのメンバーだけを集めたり、同じような考え方をする人間や同じタイプの人間を集めたのでは、単なる“お友達グループ”となってしまい、化学反応を起こすようなチームにはなりにくい傾向があります。
私がチーム結成する際に、経営者の方に必ずお勧めしているのが、“人選は後回し”という事です。人選の前に、

① 目的達成の為に必要な課題(要素)は何か?
② それぞれの課題を克服するためにメンバーにどういう役割を果たしてほしいか?
③ それらの果たしてほしい役割を固め、それらを“ヒト”“モノ”“カネ”“情報”の経営の4要素に分類し整理する
 (大体において、目的を達成する為のプロジェクトにはこの4要素は必須となります)

この3つがしっかり固まってからでないと人選に着手すべきではないと思います。
その上で、その課題克服の役割を達成するのに最適なメンバーは誰か?というテーマで人選を行います。言わば、“適材適所”ではなく“適所適材”の発想です。
人ありきでどこに配置するか?を検討するのではなく、役割主体で、それに最適な人を配置するという考え方です。
目標・目的達成のための役割を果たせる人材が社内にいない場合もあるでしょう。そういう場合には外部の人間の協力を仰ぐ(いわゆるアウトソーシング)という選択肢も必要です。
それでは、項羽と劉邦の楚漢戦争における、“相手を倒し自分の帝国を作る”というプロジェクトにおいて、項羽軍と劉邦軍はそれぞれどんな役割分担を行ったのでしょうか?
現代日本と紀元前の中国大陸においては時代そのものが大きく異なっていますので、ここではヒト・モノ・カネ・情報を

・ モノ(主力商品・主力サービスなどの経営資源)⇒戦闘力(主力の武器すなわち戦闘力)
・ カネ ⇒食(流民は食を求めて流動していた)

に置き換えて、ヒト・戦闘力・食・情報の経営の4要素に分類して2人のチーム体制とメンバーの役割を比較してみたいと思います。

◆劉邦のケース
前回までのコラムにおいて、劉邦は“自分は何も取柄が無く、配下がいないと生きていない男”“自軍は戦闘に弱い”と規定していたという事を何度も触れさせて頂きました。また、一族から嫌われていた関係上、血縁も重用せず、故郷でもごろつき扱いされていたので、その結果、他人を生まれ故郷やその経歴などによって軽重するという事をしなかった為、多くの人材が彼のもとに集まってきます。気前よく、その大半を抱え込んだわけですが、すぐれた人間もいれば、そうでないろくでなしもいるという、まさに玉石混合状態でした。そんな中、彼は逸材を見つけ出し、自分の抱える課題を克服するために人材を抜擢し、その人材にほぼ全権を与え役割を委任します。
以下は彼が抜擢した人材と役割、そして彼らが果たした功績の一部を一覧で表したものです。これ以外にも多くの将兵が貢献しています。

要素名前出身他元の職強味・特徴役割最大の功績
情報 張良 韓の宰相の子 老荘思想 浪人 作戦能力 参謀・戦略立案 巧みな情報収集力と常に冷静な目で策を授けた最大の功労者
陳平 陽武(河南省)の貧農 元楚軍の将 人の心理を読み取る力 謀臣・裏工作 項羽の猜疑心を利用して、范増などの項羽の忠臣と項羽の関係をズタズタにした
蕭何 劉邦と同じ沛県 県庁の官僚 文字算用に明るい 実直 民への強い思い 民生安定 常に前線の劉邦に兵力と兵站(物資の配給や装備)を補充し続けた
張耳 魏の大梁 反乱軍(趙)の右丞相(大臣) 魏・趙での知名度 外交能力 韓信の副将 韓信が魏・趙を攻略後の民生安定
審食其 劉邦と同じ沛県 葬式屋 こまごました実務能力 補給部隊の幹部 劉邦の親と妻が項羽に捕らえられた時 命を守った
戦闘力 韓信 淮陰(江蘇省)の貧民 元楚軍の将 軍事的作戦能力 部下掌握力 漢軍の総司令官 魏、代、趙、燕、斉といった諸国を短期間の内に鮮やかに平定 特に項羽の最も信頼する竜且将軍の20万の軍を破り敗死させた功績は大
曹参 劉邦と同じ沛県 蕭何の部下 刑務所の属吏 文武両面に異才 侍従官から将軍に抜擢 韓信の副将として諸国の平定に貢献 漢帝国成立後、蕭何の後を継いで相国となる
周勃 劉邦と同じ沛県 葬式屋 実直で部下との信頼関係が強く統率力あり 最前線の将軍 劉邦の信頼が厚く、劉邦の死ぬ時に『漢の天下を安定に導くのは周勃しかいない』と託される
彭越 昌邑(山東省)の盗賊 元楚軍の将 ゲリラ戦が得意 荷駄部隊の攻撃 項羽軍の荷駄部隊を再三再四襲撃 糧道を断って楚軍を食糧難に陥れた
黥布 六(安徽省)囚人 元楚軍の将 元受刑者 勇猛な将軍 南部戦線のかく乱 最終決戦の垓下の戦いで参戦し功績をあげる
ヒト 随何 六(安徽省)の儒者 客接待係 弁が立つ 交渉力 外交・交渉 黥布の説得に成功 劉邦軍に寝返らせた
酈食其 高陽(河南省) 儒者 門番 弁才能力 外交・交渉 斉との交渉で70以上の城を獲る
紀信 劉邦と同じ沛県 農夫 悪口癖
無類の劉邦好き
劉邦の身代わり 落城寸前の滎陽城から劉邦を脱出させるため身代わりとなって偽装降伏し項羽に殺される
侯公 出身地不詳 縦横家 諸国放浪 弁が立つ 交渉力 外交・交渉 膠着状態になった広武山の戦いでの和睦交渉を成立 その後劉邦の追撃で最終決戦へ

この中で、マークの人物は、かつて項羽の楚軍に従軍していた人で、項羽が自分の才能を軽視し、重用してくれなかった為に、項羽のもとを離れ劉邦側に付いた人たちです。またマークの彭越は劉邦の配下というよりも、小さいながらも第三勢力を形成し、いわば劉邦が“外注先”として使った人物です。
また、マークの侯公は、広武山《こうぶさん》の戦いでの外交交渉時に、劉邦が抜擢しようとしましたが、張良が『侯公は劇薬のような者で、アクが強すぎる』と反対したため、陸賈《りくか》を最初に派遣します。しかしその交渉が失敗に終わった為、劉邦が次に侯公を派遣し侯公は見事に交渉を成立させます。その和睦の成立が、後の最終決戦となる垓下《がいか》の戦いでの劉邦軍の勝利につながるので、この侯公の働きは非常に大きな成果であり、彼を抜擢した劉邦の人を見る目は抜群のものがあります。
劉邦はこのように、それぞれの役割における抜擢すべき人材を選抜する能力も優れていたといえます。これは以前お話しした、劉邦には“本質的なことが理解できた。むしろ本質的な事以外は理解できなかった”という不思議な能力が、この人材抜擢時にも生かされているのだといえます。
上記を見ても分かるように、劉邦軍は出身地やその出自、経歴、思想も異なっています。劉邦の大嫌いな儒教徒もいます。それぞれバラバラであり、個性があり長所も短所も混在していました。劉邦は彼らの短所には寛容で長所に着目し、そしてその役割に抜擢し全権を委任します。各人、高いモチベーションを持って役割を果たしたといえます。
その中で、2つの事例をご紹介します。

① 陳平の毒
陳平は元楚軍にいた人間で、項羽の猜疑心の強い性格と、同族ばかり重用する起用法を熟知していました。そこで、彼は、滎陽の戦いが膠着状態に入った時、項羽の参謀の范増や片腕となって奮戦している将軍の竜且や鍾離眛《しょうりまい》と、項羽の関係をズタズタにする裏工作をします。彼らが項羽を裏切って、劉邦側に寝返るという噂をばらまくのです。猜疑心の強い項羽はその噂を信じその真偽を探ってみようと劉邦側に使者を送ります。
その使者は、彼が重用している大した能力のない同族たちでした。彼らは、同族以外で項羽に重用されている范増たちの事を快く思っていなかった為、まんまと陳平の策に引っかかり“偽の事実”を“真実”と思いこみ、項羽に報告します。そして項羽は彼らを遠ざけてしまうのです。あらぬ疑いを掛けられた項羽の重臣たちは、これまで項羽と楚軍の為に心血を注いできたにもかかわらず信じてもらえなかった事を恨み悲しみ、范増は項羽のもとを去ってしまいます。陳平は一度の戦闘もなく一兵も失うことなく、項羽の主戦力である片腕の3名を葬り去ったといえます。

② 韓信の“半渡《はんと》の戦術”
韓信は淮陰(江蘇省)の貧民で、若いころ“肉屋の大男”に脅され、その股をくぐらされます。これにより『韓信の股くぐり』として喧伝され『股夫』とバカにされます。その後、当初項羽の楚軍に従軍して護衛係のような下級将校の役割をしていましたが、策を聞き入れてもらえない為、楚軍を離れ劉邦軍に一人で投降しました。
劉邦は韓信の才能を認め劉邦軍全体の指揮を任せますがその後、楚軍との一大決戦となります。楚軍の総大将は竜且です。韓信は、「臆病者で肉屋に脅されて股をくぐった男で、竜且将軍の到来に怯えきっている」と偽の情報を流します。竜且は楚軍にいた頃の韓信の臆病さを知っており“与しやすい相手”と侮ります。韓信が買いたかったのはこの侮りと嘲笑でした。
“その男の昔を知っているという事が、その男の全てを知っているという事に錯覚しやすい”ものですが、事実竜且も錯覚してしまいます。
当時、雨が多く、決戦の地の濰水《いすい》の川の水が増水していましたが、韓信は前夜に濰水の上流に兵を派遣して土嚢を積んで川をせき止めて、川下の水量を半減させます。
その上で韓信は川を渡り竜且に戦いを挑み、偽って負け再び川を渡って引き返し退却します。竜且は韓信を侮りきっていましたので、ここが勝機とばかりに項羽のように先頭に立って、韓信を追って川を渡り向こう岸に攻め込みます。韓信は上流に待機していた士卒に狼煙の合図を送り、土嚢の壁を一気に取り除かせ水を奔流させます。竜且将軍に続いた楚軍は、半分は川に流され残りは川を渡れず竜且はわずかの兵とともに向こう岸の韓信軍の地に取り残されてしまいます。この後、言うまでもなく竜且は韓信に打ち取られてしまい、20万の軍容を誇った楚軍は大敗北をして四散してしまいます。のちに兵法用語にもなった“半渡”(半ばを渡る)という、韓信の見事なまでの戦術でした。
韓信は、情報を流し、ヒト(この場合、敵の楚軍)の心理を操り、限られた自軍の戦闘力を駆使して、竜且の大軍を打ち破ったのです。
このように、劉邦軍は、自軍の戦闘力が項羽軍の戦闘力に比較して圧倒的に弱い事を知りそれをカバーする為に、劉邦から役割を与えられ全権を委任されたメンバーたちは、それぞれの役割においても劉邦と同じように、4つの経営資源を自在に駆使してその重責を果たし楚軍を圧倒して行ったのです。

◆項羽のケース

一方、項羽はどうだったでしょうか?

『項羽は劉邦に比べ(というより誰に比しても)ケタ外れに強い自己を持っていた。――中略――彼の体で無尽蔵に作られる生気というものが常に炎のように噴きあがり、敵を粉々に圧倒してしまう以外にその生気の“はけ場”が無かった。この炎の為に、項羽は他人の心というものが見えにくかった。このことは項羽に政略や戦略という感覚を欠かせてしまったことと無縁ではない』

項羽は強力な戦闘力を持っており、その鬼神のごとき活躍で勝利し続けていた為、戦闘力(すなわち軍事)以外の必要性を感じなかったのでしょう。彼は、情報を集めて分析することや、外交的に交渉することを“弱者の小細工だ”と言って軽視し、最前線での軍事力強化にのみに重点をおきます。従って、そもそも軍事面の役割分担はあっても、ヒト・食・情報含めた総合的な経営資源の役割分担が存在しないようです。彼の組織における主な役割は以下の通りです。

要素名前出身他強味・特徴役割備考
情報 范増 居巣(安徽省)の父老 作戦能力 奇策の立案 参謀・戦略立案 漢軍の陳平の計略で項羽が疑うようになり自ら引退宣言 帰郷の途中に病没
軍事力 竜且 生年不詳 楚 小型の項羽 抜群の戦闘力 楚軍の次席大将 数々の武功をあげたが、韓信の半渡の計略に掛かり敗死
鍾離眛 楚の伊廬 抜群の戦闘力 楚軍の第3大将 楚漢戦争で多く武功あげたが、垓下の戦の前後に項羽を見限り劉邦軍に投降
曹咎 秦時代の獄吏 (刑獄の事務官) 楚の出身 かつて項羽の叔父の命を救った刑獄の事務官 楚軍の将軍 成皋城の戦いで、漢軍に挑発され進撃して敗戦。恥を忍んで自刃
季布 楚の下相県 弱者を助ける任侠者 楚軍の将軍 楚漢戦争で多く武功あげたが、鍾離眛と同様に垓下の戦の前後に項羽を見限り劉邦軍に投降
補給は、戦闘の兵士として使えない老人の部隊が担当     楚の都の彭城から延々と運んでいたが度々彭越に襲われる
ヒト 主として項羽の同族の項姓の者が担当 まれに親族外の縦横家を担当させた     項羽が外交交渉をそれほど重視しておらず名を残した外交家は存在しない

その後、劉邦の天下となるために、項羽の配下のメンバーが歴史に名を残しにくい傾向はあるとは思いますが、それを差し引いて考えたとしても、非常に寂しいメンバー構成です。基本的には、項羽は軍事・戦闘力のみに全戦力のパワーを集中したのでしょう。
そして、その戦闘力として重用したメンバーも大半が項羽と同じ楚の出身者です。
“食”を弱い老人に任せ、“ヒト”の役割としてとても重要な外交交渉を、さして能力のない“自分の親族”に任せたという事は致命的な欠陥となります。この当時の流民は“食”を求めて大移動し、“食”のある所に人が集まった時代背景を考えれば、“食”(すなわち現代のカネ)を軽視したことは、とんでもないミスをしてしまったと言わざるを得ません。

『人才に対する鈍感さは、逆に言えば項羽軍の特徴でもあった。勇は項羽一人で充分であり、智は范増一人で充分であると思い込んでいる項羽軍首脳にとっては器才のある者を常に探さねばならぬという必要など頭から認めていなかった』

その范増も、陳平の計略に掛かり、項羽のもとを去りますが、そのあとを項羽は追おうともせず、またその後、范増に代わる智の人材を発掘しようともしていません。
現代風に言えば、もの凄い営業力をもった社長が、優秀な人材はすべて拠点の営業責任者として配置し、企画、総務、経理、製造、配送部門といったバックヤードのセクションには、営業力の低い人材を配置し、その評価は低く、社長はそういった部門にほとんど関心を示さないというような組織体系と経営環境であったといえます。
このような営業偏重の組織体が、どのようになっていくかは言うまでもなく、勝ちに乗じている間は良いですが、いったん守勢に回り劣勢になると、非常にもろく、態勢を立て直すこともできずに崩れ去ってしまうのも当然といえます。
営業力を武器に急成長を続けて一躍、脚光を浴びた会社が、一つの綻びを起点にあっという間に崩れ去っていく実例は山ほどあるのです。項羽の楚軍も、それと同じような体質であったのではないでしょうか。

◆まとめ

  • 目的達成の為には“チーム”を結成し、相互に影響し合いながら成長して行くことが重要である
  • 先に自組織の課題を洗い出し、果たすべき役割を決めた後で、その役割を果たせる最適人材を選抜する
  • 劉邦は過去の経歴や出自にこだわることなく、常に最適の人選を行った
  • 劉邦は、抜擢した者には、全権を委任し、その者にすべてを任せた
  • 項羽は、現場営業力第一優先で、それ以外の経営資源を軽視しすぎた

次回は、リーダーシップの成否を分けることもある“部下のモチベーションを高める”をテーマにします。
どうぞご期待ください。

(注)緑字の箇所は「項羽と劉邦」(司馬遼太郎著 新潮文庫)からの引用です

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