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項羽と劉邦から学ぶ "人間力としての真のリーダーシップ"とは? ④ 〜コミュニケーション能力を発揮する〜

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前回は、“現状認識力を持つ”をテーマにお話ししました。項羽は自分の失敗経験を認識しない為、死ぬまで現状認識すなわち自分の事も相手の事も正しく理解できなかったという事。対して劉邦は、自分の弱点をイヤというほど把握しており、その弱点を補う為、人を活用する意識を常に持っていた。その結果、劉邦は失敗に学び、それを分析することによって、自分も自軍も成長していき項羽を凌駕することが出来たという内容でした。
今回は、リーダーシップの要となる“コミュニケーション能力を発揮する”についてです。

Chapter 4 コミュニケーション能力を発揮する

◆コミュニケーションとは
ITコーディネータのプロセスガイドラインには以下の記述があります。
『コミュニケーションは、単なる話し方・聞き方ではなく、相手と自分との全人格的かかわりである』
コミュニケーションというと、言語的なものを中心に考えがちですが、“メラビアンの法則”によると、初対面の人物とコミュニケーションをとった際の、第一印象として認識する割合は、

・話の内容などの言語情報が7%
・口調や話の早さなどの聴覚情報が38%
・見た目などの視覚情報が55%の割合

だといいます。(7-38-55のルールともいいます)
このように、現実のコミュニケーションは「話す・聞く」だけではなく、態度や表情などの非言語、誠意や好意など全人格的なもので左右されています。人とのかかわりや、“送り手”と“受け手”の相互作用によって、次第に理解が深まり、合意が形成されていく関係プロセス全体ととらえるべきものです。
すなわち、コミュニケーションはこうした“インタラクション(相互作用)プロセス”であり、人間関係構築の基盤となるものなので、組織を運営していく場合、非常に重要なものとなります。

◆劉邦のコミュニケーション
前回お話ししたように、劉邦は自分の弱点というか、自分が一人では何もできない事を認識していましたので、数多くの他人とコミュニケーションを持ちます。
彼のコミュニケーションの姿勢の根本は“傾聴”にありました。それも単に熱心に聞くというだけではなく、全身全霊を傾けて、彼は聴くことに集中したようです。それがよく表れている場面をご紹介します。
劉邦の作戦参謀となる張良《ちょうりょう》と初めて出会った場面です。
張良は、項羽と同じように、秦に滅ぼされた“韓”という国(河南省南部)の貴族出身です。項羽がそうであったように、打倒“秦”に徹底して情熱を傾け、祖国“韓の再興”に半生を捧げています。彼は多くの流民団のリーダ(親分)に会い仕官を試みますが、どの親分も『多少の小才覚でもって頭を糞袋のように詰まらせてしまっていて、人の意見を聞く容量を持っていなかった』といいます。そんな中、劉邦に出会うのです。
『(張良は)“聴くというのは、こういう事か”と、張良は聴き手の劉邦を見て、花が開いてゆくような新鮮さを覚えた。劉邦は絶えず風通しのいい顔つきで張良を見続け、長大な体を張良に傾け、この年少の男の言うところを沁み入るように聴き続けた。擬態ではなかった。劉邦の場合、小さな我を生まれる以前にどこかに忘れてきたようなところがあった。彼は虚心にこの場の張良を見、かつ聴いた。聴くにつれて
“この男はほんものだ”
という事が分かってきた。虚心は人間を聡明にするものであろう。実のところ、劉邦の取柄といえばそれしかないと言っていい。張良は語りながら、途方もない大きな器の中に水を注ぎ入れてゆくような快感を持った』
おそらく劉邦は、耳だけではなく、目で聴き、顔の表情一杯に感受表現をし、体全体で受け止め、時に口で相槌を打ったり、要点の単語を復唱したりしたのでしょう。いわゆる、受容・質問・繰り返し・明瞭化・要約・承認といった傾聴の原則に則ったものだったに違いありません。劉邦は常にそうでした。
相手が誰であれ、自分に献策して来る者が居れば、常に辞儀を正し聴く姿勢を取ります。日頃、口も悪く、素行も粗悪な彼は、儒者(儒教の教徒)の賢しらぶった態度が気に入らなく、儒者の冠を奪いその中に小便をするほど下品な男でしたが、献策する者に対する時だけは、相手が大嫌いな儒者であろうと、身分の低い掃除人であろうと、初対面の海の物とも山の物ともつかない相手であろうと、一貫した傾聴の姿勢を取ります。
自分に献策するものに対しては、それが誰であろうと師として礼遇する習慣を持っていたのです。
時に、『そうだ!全くその通りだ!』と献策者が面食らうほど度外れた大声を出して賛成したといわれています。納得すると、彼は『ああそうだったのか!』と言って、自己の意見を古わらじのように捨て、献策者の意見にすぐさま従いますが、このあたり劉邦の虚における凄みと言ってよく、自分の元の意見に固執するという事は全くありませんでした。
『劉邦には何の思案もない。彼は常に献策者が必要だった。誰かが智恵を絞って何かを言うと劉邦はそれを採用する。献策者が複数の場合は、良案を選んで採った。そういう選択能力は劉邦にはあった。さらにそれ以上の劉邦の能力は、人がつい劉邦の為に智恵を絞りたくなるような人格的雰囲気を持っているという事でもあったろう』 献策者にとっては、劉邦は“献策し甲斐のある親分”であり、その思いは単に献策しやすいという消極的な心地良さを通り越して、配下の者たちは献策に対して積極的な使命感を持つようになります。
『幕僚や武将たちは、劉邦の無邪気すぎるほどの平凡さを見て、自分たちが労を惜しむことなく、かつは知恵を振り絞ってでも、献策し、この頭目を補助しなければどうにもならないと思うようになっていたし、事実、劉邦陣営はそういう“気負い込み”が充満していた』 もちろん、中には取るに足りないくだらない献策やどうしようもないバカげた策もあり、それを採用した劉邦自身が致命的な危機に陥ることもありましたが、彼は献策者を罰することなく、それを採用した自分に責任があるという態度を取ります。献策者は安心して自分の智恵の限りを尽くして、劉邦に積極的に策を上申し続けます。その傾向が、時を経るに従いさらに強まって行き、劉邦軍の戦略は、より高度なものへと進化していったように思います。
リーダの中には、意見の内容よりも、誰が発言したか?という発言者によって左右されやすい人もいると思います。これでは、組織のチームメンバー全員が智恵を絞ってより良い方法を考える文化は醸成されません。

・信頼できる者の話なら真剣に聞くが、こいつは以前愚にもつかない案を持ってきた奴だから二度と話を聞かない
・好きな人間の話なら真面目に聞くが、身分が低いとか学がないとか嫌いな者の話は適当に聞き流す
・自分の気に入った話をする人間の話は喜んで聞くが、耳の痛い事を言ってくる人の話は聞きたくない

こういった事はよくある傾向ですが、リーダであればこのような事が無いように特に自分自身を戒めねばなりません。
その点、劉邦はその人間の性別・年齢・学歴・出身地・経歴・過去の実績・思想・行儀の良し悪し・自分との親密度合いや仲の良さなど一切関係なく、献策するものに対しては一貫した傾聴の姿勢を取ったようです。
普段の日常空間では好悪をあからさまに見せていたとしても、相手が本気で献策しようとして来たときには辞儀を正し“師として礼遇してきちんと真剣に話を聴く”そう心掛けていたようです。
おそらく劉邦は献策する者の話を途中で遮ったり、話を最後まで聞かずに“それは違う!”と言って、自分の意見をかぶせて人の話を食ってしまうという事は絶対にしなかったのでしょう。

まさに、劉邦は全身で聴き全身で反応し、献策者に次回はもっと良い献策をしよう!と思わせる優れたコミュニケーション能力の持ち主だったと思います。聴く時には、献策者が誰であるか?どんな思想や癖を持っている人間か?かつてどんなくだらない献策をした人間かなど、一切考慮に入れず、“虚心に聴く”事が大切です。
“虚心は人間を聡明にします” まずはメンバーの意見を虚心にかつ全身で聴くことが肝要ではないでしょうか?

◆項羽のコミュニケーション
一方、項羽はどうだったでしょうか?
『(項羽は)他人の言葉よりも自分の目でものを見ることによってはじめて物事を認識するという“たち”だったからである。この性格はしばしば項羽に利し、時に致命的な事で項羽に不利を招いた』 他人の言動に惑わされず、自分の目で確かめて判断するという事はそれなりに間違ったことではありません。しかしその考え方が“自分の目で見たものしか信用しない”というところまで発展してしまった場合、非常に危険になると思われます。他人(メンバー)の言う事を信用しなくなってしまうからであり、“私の言う事を信じてくれない”と部下が感じた時の失望感はとても甚大なものです。各メンバーの意識がそうなれば、組織的に崩壊寸前といえます。
また、項羽の発言は常に短く、どちらかと言えば無口です。必要以上の無駄口を言いません。
『虞姫(項羽の事実上の妻)が寡欲で無口であるという事も、項羽の喜ぶところであった。項羽自身寡黙な上に、人に対する好みもその様であった。“あいつは鳥だ”と多弁な人間をみるとそう言って不機嫌になってしまう。用もないのに歯の間から盛んに言葉を吐き出している人間を見ると、男女とも鳥のように見えてくるらしい』 “ペラペラしゃべるな!”“言葉よりも行動で示せ!”という事なのでしょう。
確かに間違ってはいないのですが、なかなか仕えにくい上司であり、話しにくいリーダです。
人間は話せなくなると(沈黙させられると)アイデアも生まれなくなるといいます。何か思いついても、閃いても口にするとリーダの怒りを買う為、口にしない。それを繰り返しているうちに条件反射を起こし、次第に人間はアイデアを考えたり、対策などを考えたりすることそのものを止めてしまうのです。
発言できない組織、発言しにくい組織は必ず停滞し低迷していきます。項羽が秦の帝都咸陽を攻略し、覇権を握った時、「豊かで守りも固く、経済力のある関中盆地を首都にしたらどうか」と勧める者が居ました。それを項羽は一顧もせず、「故郷に錦を飾りたいので、楚の地に首都を置く」と宣言します。彼にとってみれば、生まれ故郷の揚子江流域の楚に比べ、何もかもが違う関中盆地など一刻も早く去って、大小の河川や沼沢の多い土地に帰りたかったのです。もう少し、言い方もあるとは思うのですが、そのあまりにも幼稚な項羽の言葉に対して献策者はあきれ、「楚人は猿だと世間ではいうが、よく言ったものだ、猿が冠をかぶっているようなものだ」と痛烈に批判します。項羽は激怒し、すぐさま庭に大釜を運び出させ、その男を放り込ませ、男は煮殺されてしまいました。しかし、息が止まるまで項羽を嗤う事を止めなかったと言われています。
合意形成を目的としたコミュニケーションの体を全く成しておらず、極めて未熟な組織体だと言わざるを得ません。
項羽が覇権掌握後、再び背いた梁《りょう》(魏)の国の外黄《がいこう》(河南省)という拠点を攻略した時、領民ぐるみで歯向かったと思った項羽は領民の皆殺しを命じます。その時、一人の少年が項羽の前に進み出て、
『大王、外黄の者はただ漢軍に脅されて戦っただけなのです。誰もが大王を慕い、大王の来られるのを待っていました。であるのに、このように阬される(生き埋めにされる)という。あまりにも外黄の人々がかわいそうでございます。慕って殺されるというなら、人々は、もはや大王を慕わなくなりましょう。……梁には、外黄だけがあるのではありません。あの十幾つの城の人々も、このような目に遭うなら、死を恐れて懸命に戦う事になりましょう』 と泣きながら決死の抗議をします。項羽は怒ることなく「尤もなことだ」と言ってその少年と領民を許します。
『すべての市民を自由にした。少年の足縄も解き捨てられた。項羽は馬を往かせながら振り返って少年を褒めた』 このことは以下の事を表しています。

  • 決死の覚悟で項羽の前に現れた弱者である少年を哀れに思った
    (項羽は、死を賭けて憐れみを乞うような弱者に対しては、ケタ外れの温情を示すことがある)
  • 項羽は少年の提言した内容が正しいと思ったというよりも、この少年が気に入った為にその言を受け入れた
  • この当時、この程度の献策をする者さえ、項羽の周りにはいなかった

結局のところ、項羽は自分の気に入った者の意見のみ取り入れ続けていたのだと思います。人を信じることが出来ずそれにより、人は項羽から離れ、ゆえに余計に項羽は人を信じなくなるという悪循環を起こし、常に猜疑心の塊のような人間になっていったのでしょう。

いかがでしょうか?
項羽と劉邦のコミュニケーションの取り方は天地ほどの差があります。項羽は他人を軽視する傾向があり、必然的にコミュニケーションそのものを重要視しなかったのでしょう。一方、劉邦は人というものを貴重な存在だと思っていた為、コミュニケーションにも全力を注いで全身全霊で行っていたのだと思います。
あたかも、項羽が戦闘に全身全霊を尽くしたように……
コミュニケーション力のあるリーダは、劉邦のように、個人や集団のレベルを高めていく相互学習プロセスを形成することが出来、さらにレベルアップすれば、リーダーシップのスタイルも進化していくことが可能なのだと思います。

◆まとめ

  • コミュニケーションは言語のやり取りだけではなく、五感をフルに使った相互作用による人間関係構築プロセスなので、リーダはその能力を磨く必要がある
  • 劉邦のコミュニケーションの根本は傾聴にあった。それも全身全霊で虚心になって聴いた
  • 虚心は人を聡明にする。聴くときは、一切の先入観を捨て、虚心になって聴くことが重要である
  • 意見の内容よりも、誰の意見かによって左右されるリーダは危険である

次回は、リーダーシップの真髄ともいえる“最適な役割分担を行う”です。どうぞご期待ください。
(注)緑字の箇所は「項羽と劉邦」(司馬遼太郎著 新潮文庫)からの引用です

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