SANBOH TOWN

コラム

  1. トップ
  2. コラム
  3. 項羽と劉邦から学ぶ "人間力としての真のリーダーシップ"とは? ③ 〜現状認識力を持つ〜

項羽と劉邦から学ぶ "人間力としての真のリーダーシップ"とは? ③ 〜現状認識力を持つ〜

  • 売上・集客拡大

前回は、“ビジョンを語る”という点において2人の生き様の比較をしながら、項羽のビジョンは“秦を倒す”ところまでであり、その先の国家ビジョンがなかった。一方、劉邦には“王権の軽い国家像”をビジョンにして、中国全土に宣伝していった典型的なビジョン型リーダーシップ採用のリーダであったという事をお話ししました。
今回はリーダーシップ発揮のベースとなる“現状認識力を持つ”についてです。

Chapter 3 現状認識力を持つ

◆現状認識力の必要性
孫子の兵法の謀攻篇に『知彼知己、百戰不殆』(敵を知り己を知れば百戦し危うからず)という言葉があります。
自分の強み・弱みを知り、かつ相手の強み・弱みを知れば、百戦しても負けることはないという意味です。
これは現代の経営においても充分通用する言葉で、自社の強みと弱みをまず知る事、そして如何にその強みを生かすか?何で弱みをカバーするか?が大事です。
また、現代経営的に言えば、敵を知るというよりも、市場を知る、ターゲット顧客を知る。
ここが原点であり、P.F.ドラッカーもその著書「マネジメント」の中で、第一に必要な事は『顧客は誰か?』を定義することが最も大切な問いであると言っています。
顧客はどこにいるか、いかに買うか、何を買うか、何に価値を見出すか、を分析することがとても重要なのです。
さらに現状認識を行う事は、自分と自組織の戦略を考える時に必須であるばかりではありません。
認識した自己と自組織の現状及び敵の現状をベースにして初めてリーダーシップが発揮できると私は思います。

◆項羽の現状認識
項羽の場合、死ぬまで自分自身と自軍についての弱みを理解していなかったように私は思います。また、敵である劉邦軍についても『戦に弱く逃げてばかりいる男であり、ただ弱いだけの雑軍』としか思っていなかったように思います。
項羽は、

・劉邦が何度も死ぬ寸前まで追い込まれながら負け続けているにもかかわらず、
 何故歯向かってくるのか?
・何故負けるとわかっているのに、懲りずにまた戦いを挑んでくるのか?

不思議だったと思われます。
彼は、自分が直接楚軍を率いている時、最後の一戦まで一度も負けていません。相手の弱みや強みを分析しなくても常に勝ちました。自軍は強い、だから分析する必要もなかったのです。
彼は、自分にないもので必要と思うものはなかったのです。例えば作戦力や智などについてもこう言っています。
『項羽に言わせれば、范増《はんぞう》(項羽の軍師)の智などは、いたずらに些末的で、時に老成者の暇つぶしの種に過ぎないと思っている。要は勝つか負けるかであり剣をあげて天地とともに両断するだけの気力が必要なだけである。智は大切なものだ。但し智というのは事後処理に役立つだけで、勝敗そのものに役立つものではない』
極端なまでの自己信望者であり自信家です。自己分析も他己分析も必要はなかったし、無くても勝ち続けたのです。
戦闘では一度も負けていない為、そもそも自覚した失敗がないし、彼には不可能が無かったのです。
秦の章邯《しょうかん》軍30万と自軍7万の鉅鹿《きょろく》の戦いでも大勝利し、劉邦軍56万と自軍3万の彭城《ほうじょう》の戦いでも圧勝しています。すなわち、どんなに困難な局面であっても、負けたことが無い(失敗していない)ので、反省したり、自分の強みを伸ばそうとか、弱みを克服し、もしくは他者の力を活用しようという意識すらなかったのでしょう。
項羽は最終決戦で、初めて劉邦に負け、自分の滅びを悟った時、以下の詩を詠みます。
 力抜山兮気蓋世(力は山を抜き気は世を蓋う)
 時不利兮騅不逝(時に利あらず騅ゆかず)
 騅不逝兮可奈何(騅のゆかざるをいかにすべき)
 虞兮虞兮奈若何(虞や虞や汝をいかにせん)
   現代語訳: 私の力は山をも越えるほどに強く、気力は世界中を覆うばかりであった
         しかし、天運に見放され愛馬の騅も走らなくなってしまった
         虞よ(項羽の事実上の夫人)お前の身をどうしたらよいのか!
彼は、このように敗北と死を覚悟した時、私は劉邦よりもはるかに力も気力も上だ。劉邦に負けたのではない。天が私を滅ぼそうとしているので負けたのだと言っています。
『要するに、劉邦に滅ぼされるのではないという事であった。
――天が、楚王項羽を滅ぼしたのだ。というふうに語られる事に項羽は執着した。
彼がこの世に思い残すことがあるとすればこの一点だけであり、歴史に向かってこれを叫んだといっていい』
最後の最後まで、劉邦の強みは何も知らず、自分の弱みについても何も知らなかったのです。

◆劉邦の現状認識
一方、劉邦はどうだったでしょうか?
正反対に、劉邦は自分という人間の弱みを哀れな程に認識していました。
『俺には子分が必要なのだ。子分が散ってしまっては、自分のような男は生きてゆけないという事を劉邦は知っていた』
『顔だけだ』 (立派な顔ですなと宿屋の主人に言われて)
『俺は勇悍(勇敢以上の戦場における猛々しさ)の面でも、味方や配下に対しての仁強(仁以上の狂おしいばかりの愛情)の面でも、遠く項羽には及ばない』
『“正直な男だ”と張良《ちょうりょう》(劉邦の参謀)は思った。あるいは劉邦が劉邦であるのは、自分の弱みについての正直さという事であるのかも知れなかった』
『劉邦は同族から嫌われ、沛の人からもバカにされていることを知っていた』
また一方、強みについては下記のように記載されています。
『沛公(劉邦)は、まれにみる長者だと誰もが言う。長者とは人を包容し、人の些細な罪や欠点を見ず、その長所や功績を褒めて常にところを得しめ、その人物に接すると何とも言えぬ大きさと温かさを感ずる存在を言う。この大陸でいうところの、徳という説明しがたいものを人格化したものが長者であり、劉邦にはそういうものがあった。言い換えれば、劉邦の持ち物はそれしかない』
『劉邦は愛すべき愚者という感じがした。自分をいつでも放り出して実体はぼんやりしているという感じで、いわば大きな袋のようであった。置きっぱなしの袋は形も定まらず、また袋自身の思考などなく、ただ容量があるだけだったが、棟梁になる場合、賢者よりはるかに勝っているのではないか。賢者は自分の優れた思考力がそのまま限界になるが、袋ならばその賢者を中に放り込んで用いることが出来る。劉邦という男は、袋というべきか、粘土の塊というべきか』

すなわち、劉邦は、

・自分は長所もなく、親戚連中や地元の人からもバカにされていた人間だ。
・戦いも下手で、自分はつまらない男である上に、周囲に仲間がいないと何もできない。
・自分の長所はと言えば、竜に似た立派な髭・顔と、徳がありそうだと周囲が思っている雰囲気しかない。

彼は自分自身をそのように規定し、常に“自分と自軍は弱い”という認識からスタートさせてきました。弱いから無理をせず、“まずい!”と思ったらすぐに逃げます。彼は一種の“遁走の名人”となります。
また、彼は、自分一人では何もできないという事をイやというほど知っていました。そのため、彼は他人を頼りにします。それも項羽のように自分の親族から尊敬されているわけではないので、“親族はおろか親兄弟ですら信用できない。他人の方が役に立つ”という考えになります。彼のように、40代半ば過ぎまで、故郷でごろつきのような生活をしていた人間は、そのような思考回路が自然に備わるのかもしれません。
『劉邦などはむしろ血縁の者に生理的な嫌悪を感じているのではないかと思われるほどであり、心から他の才質や勇気を尊び、さらには他人の誠実を信じた』 彼は他人を頼り、どんどんと自軍に採用します。優れた者もいれば、どうしようもない役立たずもいたようでしたが、彼には変わったところがあったといいます。
『劉邦という男はいわゆる阿呆というに当たらない。 どういう頭の仕組になっているのか、常に本質的なことが理解できた。むしろ、本質的な事以外は分からないとさえいえた』 彼は、これまで常勝だった楚の項梁《こうりょう》将軍が、秦の章邯将軍に負け敗死した時、しきりと不思議がり何故そうなったか知りたがったといいます。彼が理解した本質とは要するに何でもない、『秦が強いという事』そして『秦の章邯将軍が途方もない名将である』という事でした。そしてこれまで自分たちが勝ってきたのは、自分たちが勝ったのではなく、章邯将軍が自分たちを罠にはめる為に『自軍を勝たせてくれていた』という事を知り感心してしまいます。
『この感心の仕方に一種の愛嬌があり、愛嬌がそのまま人々に徳を感じさせる風を帯びていたために、劉邦が進むところ、知者や賢者が争って、彼の幕下に投じてくるという傾向があった』 この“本質を理解できる目で、他人の意見の採用・不採用を決めていた”ように思われます。
そして、この重心の定まらない彼自身の戦略思想や軍の方針が、ある時しっかりと根を下ろしたものに進化します。
項羽の軍で護衛兵のような下級将校をしていた韓信《かんしん》が単身、項羽のもとを離れ劉邦軍に投降した時、韓信の言葉によって劉邦は目覚めることになります。韓信が劉邦に説いたことは以下の通りです。

  • 項羽は劉邦よりも勇悍であるが、有能な将軍に任せる事のない性格の為、その勇悍は匹夫の勇である事
  • 項羽は劉邦よりも仁強に優れているが、部下を非常に愛しているにも関わらず、恩賞を授ける際、出し惜しみをし、吝嗇(極度に物惜しみすること・けち)が甚だしい。これは婦人の仁である事
  • よって劉邦は、その反対を行えば、項羽に不満を持つ天下の人々は、こぞって劉邦の味方をする
  • 優れた人材をどんどん登用し、惜しみなく恩賞を与える事 これで項羽と渡り合える

劉邦は、真の自分を発見し、その後の方針ややるべきこと、その日程表まで手に入れる事になります。
こうして自分の強み、弱みを再確認し、項羽の強み、弱みの本質を新たに知ったことにより、本気で?項羽を攻略する自信のようなものを得たのです。
いくら韓信が的を射たアドバイスをしようとも、それまで、自分自身の強みや弱みに無頓着であれば、真の自分を発見することはできなかったと思われます。劉邦自身が常に、自分は弱く、どうすれば良いか自問自答し続けていた為に、韓信の言葉が“腹に落ちた”のです。
随分と前の話になりますが、ボクシングWBA世界王者のある日本人チャンピオンが、当時日本最強と言われた同級1位の同じ日本人挑戦者と世界タイトルマッチで対戦する前、こう話していたことを覚えています。
『挑戦者はパンチ力があって僕にはパンチ力がない。だから僕が勝つんですよ。
挑戦者は打たれ強い、僕は打たれ弱い。だから僕が勝つんですよ』
結果は、パンチ力が弱く、打たれ弱いチャンピオンの方が、彼が言っていたようにKOで挑戦者を破りました。
勝った後、チャンピオンは、試合前に語った話の種明かしをします。
『彼(挑戦者)はパンチ力があるので、一発で倒そう大振りになる。僕はパンチ力がないので、一発に頼らず多彩なパンチを数多く当てようとする。彼は打たれ強いので、ガードもせずに攻めてくるのでその分スキができる。自分は打たれ弱いのでガードをしっかり固めて、彼のスキを突く攻撃に出る。だから僕が勝つんだと言いました』
このように自分の強み・弱みをしっかり認識するとともに、相手の強みや弱点を分析することにより勝利を手にする条件が揃うのです。

我々は、自分や自社よりも強いものを相手に戦う事が多く、また負けることもたびたびあると思います。特に新規事業や、後発で新規商品の業界参入をする時などは、なおさらこの傾向が高くなります。
そんな時、“勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし”の鉄則通り、負けた理由を分析する必要があります。その負けた理由は、往々にして自分の中にあるのです。それを放置せず、負けの理由を考え、詳細に調査し、それを分析し、次に繋げようと、常に“踠く”ことが大切なのではないかと思います。
項羽は劉邦をバカにし切っていました。自分が劉邦に負けるはずがないと思って、劉邦研究を怠りました。
そして項羽は、自分や自軍の分析も怠りました。
それに対して、劉邦は自分の現状をしっかりと把握するだけではなく、項羽の弱点が、韓信の言った人間的な欠陥だけでなく、項羽軍そのものに致命的な欠陥がある事をも発見します。
項羽は、あまりにも軍事優先で、前線部隊を重視するあまり、後方の補給を軽視します。兵士にとって大切な食料などを運ぶ隊には、戦闘員になりえない老人が主となって荷駄を運んでいました。その老人主体の荷駄隊を何度も劉邦軍に襲われ、次第に項羽軍は食糧難に陥って、結果としてそれが致命傷となり、劉邦軍に敗北することになるのです。
しかし、先述の通り、項羽は自軍の弱点にすら気付いていなかったのでしょう。彼は自分では一度も負けていないし、何も失敗していないと思っていました。しかし、実際はそうやって荷駄部隊が何度も襲われ、ある意味の失敗を繰り返していたのです。それに何の手も打たず、失敗したという認識すらなかったというのでは、やはり彼を滅ぼしたのは天ではなく、劉邦でもなく、項羽自身が自分を滅ぼしたのではないでしょうか?
劉邦はこのしっかりとした現状認識をベースに、部下たちにリーダーシップを発揮していくこととなります。

◆まとめ

  • 項羽は相手の研究も自軍の分析も怠っていた
  • 項羽は死ぬ間際になっても、自分のせいで敗北したと思わなかった
  • 劉邦の強みは、竜に似た顔と、“徳がありそうだ”と周囲が思う、劉邦が醸し出す雰囲気だけだった
  • 劉邦は、何故か本質的な事は理解できた。むしろ本質的な事以外は理解できなかったといえた
  • 劉邦は自分の育った環境に基づき、自分の弱さを認識し、長所を使い他者に頼って弱点をカバーしようとした
  • 負けに不思議の負けはない。失敗をしっかり分析し、現状認識力を高めることが大切である

次回は、リーダーシップの要となる“コミュニケーション能力を発揮する”です。どうぞご期待ください。
(注)緑字の箇所は「項羽と劉邦」(司馬遼太郎著 新潮文庫)からの引用です

経営に役立つ情報やノウハウを公開中

CJ-ITC羅針盤クラブ 代表
ITコーディネータ (認定番号 0094392010C) 武内靖志

SANBOH 販売管理