SANBOH TOWN

コラム

  1. トップ
  2. コラム
  3. 項羽と劉邦から学ぶ "人間力としての真のリーダーシップ"とは? ② 〜ビジョンを語る〜

項羽と劉邦から学ぶ "人間力としての真のリーダーシップ"とは? ② 〜ビジョンを語る〜

  • 売上・集客拡大

前回、項羽と劉邦との熾烈な戦い(楚漢戦争)が始まる前の、時代背景と二人の生い立ちについて述べさせて頂きました。楚の実質的権力者であった項羽の叔父の項梁が、当時の政権の秦帝国の章邯《しょうかん》将軍の罠にかかり敗死することにより、二人は歴史の表舞台に立つことになるという内容でした。
その後、楚を代表する項羽と劉邦は、それぞれ、秦を倒すべく秦の帝都咸陽《かんよう》(関中盆地)を目指し、まず劉邦が咸陽を抑え、その後項羽が劉邦を押しのけて咸陽を占拠します。
その後の二人の生き様を見ながら、いよいよ二人の人間力としてのリーダーシップについて皆様と一緒に考えていきたいと思います。今回はリーダーシップの第一歩となる“ビジョンを語る”についてです。

Chapter 2 ビジョンを語る

◆項羽のビジョン
前回、お話ししたように項羽は秦によってなぶり殺しにされるように滅ぼされた国である楚の名族出身です。秦に対する恨みは骨髄に徹するものがありました。項羽が初めて巡行中の秦の始皇帝を見た時、
『彼取って代るべきなり』 (俺があいつに取って代わることになるだろう)
と言い、秦を倒して俺が皇帝になるという反乱宣言をします。楚を滅亡させた秦に対し徹底的に復讐し、ずっと痛め続けられている楚の人たちを秦の支配から解放し、楚の復活及び自分の家である項家の復興を誓います。 ある意味、明確なビジョンを語ったといえます。
しかしながら彼のビジョンは、“秦への復讐と楚の再興”であり、どうもそこまでだったふしがあります。
項羽は、叔父の項梁を敗死に追い込んだ、30万もの圧倒的な勢力を持つ章邯《しょうかん》将軍の秦の主力軍を、7万という1/4以下の軍勢で立ち向かい大勝利します(鉅鹿《きょろく》の戦い)。そして降伏した秦の将兵を、章邯以下3名の将軍を除いて、すべて生埋めにして殺します。項羽の楚軍の兵士の多くは、これまで散々秦に痛めつけられていましたから、彼の士卒たちはさぞかし溜飲が下がる思いで喜んだことだと思います。
その後、劉邦を押しのけて、関中にある帝都咸陽に侵攻したあと、楚の将兵たちは、始皇帝の墓を暴き、保管されていた財宝を略奪、宮中の女性に暴行し、さらには抵抗する者を殺害、宮殿に火を放ってすべてを灰にしてしまいます。
その咸陽を燃やし尽くす火災の炎は3か月間消えることが無かったと言われています。
誠に項羽の復讐は凄まじいものでした。その後、彼は傀儡政権だった楚の王の懐王(義帝)を殺し完全に覇権を掌握するのですが、覇権を握った後の、彼の政治家としてのビジョンはほとんど特筆すべきものはありませんでした。
秦の中央集権国家から元の封建制度に何となく戻すような形をとり、この先どういう国家を建設していくのか何も触れていません。どうも、項羽の目指したゴール(終着点)とは秦を倒す事であり、復讐を果たす事であって、その後の事は何も考えていなかったのかもしれません。
不況を何とか乗り切ろう!この急場を何とか凌ごう!という事で社員の人たちにより一層の頑張りを求める経営者の方がいらっしゃいますが、頑張って乗り切ったその先に何があるのか?という事を社員の人は、意外としっかり見たり感じたりしているものです。こういう国を作りたい(ビジョンと目的)、だから秦を倒す(手段)という考えを項羽が持っていれば結果は変わったかもしれません。手段そのものが目的化した時、先が見えない為、人は次第に離れていくものです。
事業目標を何が何でも達成したい時や、資金繰りが厳しくこの急場を乗り切りたい時など、達成することだけ、乗り切る事だけが目的化していませんでしょうか?ここを頑張って乗り切った後、どういう世界が来るのか? 達成後あなた方の姿や生活はどうなるのか?を明確に社員に示したうえでチャレンジするのと、そうでないのとでは、おのずと結果に大きな違いが出てくるものだと思います。
まさに、“ビジョン無きところにリーダーシップは存在しない”のです。

◆劉邦のビジョン
一方、劉邦の方はどうだったでしょうか?
彼が初めて秦の始皇帝を見た時、その壮観に打たれ、こう呟きます。
『大丈夫、当に此の如くなるべきなり』 (男はこうなきゃダメだ)
劉邦は皇帝に対し無用な戦闘的な対抗心は持たず、ただやみくもに首を振って羨ましがりました。そこにはビジョンは存在していません。“こうなりたいなあ”という願望程度のものです。
しかし、劉邦の勢力が増えていき、周囲に有能な将校や士卒が集まっていくにつれて次第に彼は変わっていきます。
彼が項羽に先立つこと2か月、先に咸陽を占拠した時、劉邦の案なのかどうか甚だ怪しいものはありますが、彼の取った行動は以下の通りです。
 ① まず降伏した将兵や領民を殺さず、略奪を禁止し、それを徹底した
 ② 当時、戦乱と飢饉で苦しんでいた農民が、咸陽から逃亡するのを食い止める策を施した
 ③ 庁舎に保管されていた、中国全土の戸籍・地図・法令や記録類などの一切を押収して別の所に保管した
 ④ これまでの秦の網の目のような法を全て廃止し、法は以下の三章のみとした
『秦の法は、ことごとく撤廃する』
『法は、三章とする。すなわち人を殺す者は死刑、人を傷つける者、あるいは人の物を盗む者は、それぞれ適当な刑に処する。それだけじゃ!』
そして、彼は咸陽の領民にこう言います。
『わしは秦の害を取り除くために来たのだ』 略奪の禁止と秦法の撤廃及びその法の簡素化ほど劉邦の咸陽(関中盆地)における人気を高めたものはなかったと言われています。これらの方針は、劉邦が考え出したものというよりも、当時の参謀や腹心の張良《ちょうりょう》や蕭何《しょうか》が立案し劉邦に勧めたと思われますが、いずれにしろそれを採用し全兵士に徹底したのは劉邦です。
彼の描いた国家ビジョンは、法を簡素化し、領民がその土地に安住できるような工夫を行い、必要以上の労役は行わせず、できるだけ人は殺さない国家を目指すというモノでした。
実際の彼の建国した漢王朝でそれを実現したかどうかは別ですが、初期の段階で、このビジョンを打ち立て、それを実践し、徹底させたことは、人々の潜在意識に安心感と期待感を植え付けることになりました。
更には、咸陽の父老(村を取り仕切る長老)が祝いの貢物を劉邦に届けに来た時、
『わが倉庫に積んだ軍糧は多くはないが、しかし士卒は飢えるに至っていない。郷村の方が飢えているはずだ』 と言って、貢物を辞退するに及んでは、電流のように関中の隅々まで伝わり、郷村を喜ばせたと言われています。彼らに、想像以上に軽い王権が劉邦によって成立するかもしれないという大きな期待感を持たせたのは事実です。この時期、劉邦自身、項羽に勝って、天下を手中に収められると思っていたかというと甚だ疑問です。項羽とは天下そのものであり、今でいう巨大与党のようなもので、劉邦はと言えば弱小野党でしかありません。その勢力は項羽の1/10以下だったでしょう。そういう状況下にありながらも自分の国家ビジョンをきちんと語り、内外に示し、短期間でもそれを徹底させたというのは、劉邦がただのごろつき上がりの流民の親分ではなかったことの証明だと思います。

◆2つ型のリーダーシップ
リーダーシップについて、2つの型があると最近よく言われるようになりました。

① カリスマリーダ型
 リーダ自らが先頭に立って模範を示し、部下はリーダの指示やマニュアルに従って忠実に働く組織
② ビジョン型
 リーダの仕事は「ビジョンを作り、伝える」ことであり、それ以外のことは優秀なメンバーに委任する組織

高度成長時代や変化の乏しい時代には、やるべきことは決まっており、模範的な進め方をカリスマリーダが示し、あるいはそれをマニュアル化し、ルールやマニュアルからはみ出ようとするメンバーがいないか注意しながらチームを統帥する、軍隊の隊長のようなリーダーシップが重要視されました。みんな同じように標準化して仕事ができるよう、組織独自の「型」を身につけさせるリーダーシップが求められたのです。
しかし、現在のような変化が激しく、市場や顧客の好みも多様化している時代では、項羽と劉邦の楚漢戦争時のように大混乱した予測不可能の時代と同じで、従来のトップダウン型リーダーシップだけでは、対応が遅れがちになるとともに、指示待ち人間を生む土壌が出来てしまい組織自体も成長しないと言われています。
変化に対応して多様化したニーズに応えていく為には、現場のメンバーたちが自律的に動き、個別に対応する事が必要です。
組織の各メンバーが、新たな課題を自分で発見し、その解決策を自ら考え実行できる人材を育てる必要があるのです。リーダが部下に対して個別に教えていたのでは、手が回りきらず到底充分な対処に間に合わないからなのです。
項羽は模範的なカリスマリーダ型で、劉邦は典型的なビジョン型リーダです。
ビジョン型リーダの仕事は
 A) メンバーが共感して自ら動きたくなる、魅力的なビジョンを掲げる
 B) ビジョンをメンバーにしっかりと伝えて浸透させ実行させる
これ以外は、命令や管理は一切しないし、しない方が良いという考え方です。
劉邦の漢軍のメンバーは、劉邦そのものが何もできなかった為に、リーダの指示やマニュアルに従って忠実に働く人ではなく、リーダの「ビジョン」に基づき、自ら考え行動せざるを得なかったのでしょう。
結果として、自律するチームが出来上がり、個々の能力も上がり、劉邦もメンバーも組織も成長していったようです。

◆まとめ

① 項羽は“秦を倒す”その先のビジョンを持っていなかった
② 劉邦は、項羽を倒した後の明確な国家ビジョンを持っていた
(劉邦が項羽を倒す可能性は当時限りなくゼロに近いものではあったが)
③ 項羽は咸陽を占拠した時、財宝などの略奪により即物的な成果物を手にすることにこだわった
④ 劉邦は、先の事を考え、即物的な成果物よりも、今後の為に必要な戸籍や地図などの書類に価値を見出した
(戸籍があるから税や兵役を課せる事ができ、各地域の民力の把握、経済的に重要な地域が分かる、地図があるから、戦いの時にも有利な地の利を選択できる)
⑤ 劉邦が描いた国家ビジョンは、彼が農民出身という事もあり、領民の圧倒的な支持を得るツボを心得ていた
⑥ 劉邦はビジョンを作り浸透させた以外は、何もできず何もしなかった(現代の典型的ビジョン型リーダ)
結果として、組織の各メンバーの自律を促進し、組織として成長する条件を満たしていった
⑦ ビジョン無きところにリーダーシップは存在しない

いかがでしょうか?
現代にも通用するリーダーシップとは何か?という主題の参考になったでしょうか?
消費者の価値観やニーズが多様化しているような、変化の激しい時代において、抜群の営業力でグイグイ社員を引っ張って行くリーダーシップよりも、きちんとビジョンを打ち立て、それを全員に浸透させ、それ以外についてはリーダが信頼して抜擢した有能なメンバーに委任するビジョン型リーダーシップの方が、長期的にみれば、はるかに高い生産性向上を果たすことが出来るのです。
項羽と劉邦から学ぶ人間力としてのリーダーシップの要素は、ビジョン構築力以外にも、まだまだたくさんあります。
次回はリーダーシップ発揮のベースとなる“現状認識力を持つ”をテーマにお話しさせて頂きます。
どうぞご期待ください。

(注)緑字の箇所は「項羽と劉邦」(司馬遼太郎著 新潮文庫)からの引用です

経営に役立つ情報やノウハウを公開中

CJ-ITC羅針盤クラブ 代表
ITコーディネータ (認定番号 0094392010C) 武内靖志

SANBOH 販売管理